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ゆるふわ系サブカルくそブログ

映画通になりたいゲーマーが、映画やゲームの話をします。

【ニューダンガンロンパV3】メタルギアソリッド2の衝撃、再び(ネタバレ注意)

【注意】この記事にはゲームのネタバレが含まれております【注意】

 

 

ニューダンガンロンパV3面白かった!なんてものを作ってくれたんだ!

ダンガンV3をクリアした私は、浮ついた気持ちもそのままに、ネット上の反応を見てみることにした。

賛否両論あるであろう予感があったので、その賛否両論ぶりを見てやろうと思ったのだ。

 

すると、どうだろう。

予想以上に「否」が多いではないか!

率直に言って荒れている!

 

しかし、それも理解できる。

なにせ、捉えようによっては、ダンガンロンパというゲームそのもの、

ひいてはそれを楽しむプレイヤーをも否定するような結末だったのだから!

 

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上記のような状況は、多くの考察ブロガーに筆を執らせ、その結末について大いに議論を巻き起こした。

その多くは、「どこまでがフィクションか」に関するもので、V3をプレイした人なら考えずにはいられない問いだと思う。

 

この点に関しては、いくら考えても整合性のある回答は得られないと思うので(おそらくそういう風に作ってある)、妄想を愉しむのみである。

作中の百田のセリフにあったように、「何を信じたいか」がすべてなのだろう。

 

そんなことより、私は気付いてしまったのだ。

 

ニューダンガンロンパV3を取り巻くいまの状況は、メタルギアソリッド2が世に出た時の反応にソックリなのである!

 

メタルギアソリッド2は、今でこそ傑作と呼ばれているが、発売当初は賛否の嵐だった。

ニューダンガンロンパV3も、今は賛否の嵐だが、10年後には傑作と認められるに違いない!

そのことを、この場で力説したいと思う。

 

ポイントは、以下の通りだ。

  1. 物語の仕掛け
  2. フィクションをどう解釈するか

 

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1. 物語の仕掛け

メタルギアソリッド2とニューダンガンロンパV3は、奇妙なことに物語の仕掛けが似ている。

 

メタルギアソリッド2の物語については、説明するだけで本一冊分くらいになってしまうので、説明は省略させていただきます。以降、メタルギアソリッド2を知っている前提で書かせていただきます。) 

 

メタルギアソリッド2では、プレイヤーは最初、スネークとして物語の世界に入り込む。そしてスネークが死亡したように見せ、主人公は雷電に切り替わる。

当時はこの点が非常に叩かれたようだが、ダンガンロンパの場合、主人公交代くらいでは叩かれないだろう。

このことは、別に重要な一致ではない。

 

重要なのは、雷電というキャラクターが、スネークという伝説の兵士を模倣して作られた「フィクション」だったことが、物語後半で明かされる点だ。

恋人も、記憶も、任務も、無線の向こうにいるはずの大佐さえ、ウソだったのである。

 

プレイ当時、この時の衝撃は相当なものだった。

口を開けて、しばらく呆然としたものだ。

こんな衝撃は二度と味わえないだろうと思った。

 

しかし、ニューダンガンロンパV3をプレイして、同じ衝撃を味わった。

 

「お前は、フィクションだ!」

そんなことを言われたのは、人生で二度目である。

 

2.フィクションをどう解釈するか

 メタルギアソリッド2は15年以上前の作品だが、ニューダンガンロンパV3に通じる部分がある。

それは、フィクションに対するまなざしである。

 

「おまえは、雷電という記憶、役割を背負わされてきた。それが本当かどうかは問題じゃない。この世に完全なるリアリティなんて存在しない。現実と呼ばれるものの多くは、フィクションで成り立っている。目で見たものも、脳が現実と感じた『現実』でしかない。」

「そう、それがおまえ自身だ。確かに今回、おまえが自分から何かを選ぶことはなかったかもしれん。だが、その間におまえが考えたこと、おまえが感じたことは、お前自身のものだ。それをどうするかは、おまえ次第……」

        —— 野島一人『メタルギアソリッド サブスタンスⅡ』より

 

引用したのは、メタルギアソリッド2の物語の終盤で、スネークが言ったセリフだ。

(手元にノベライズ版があったので、そちらからの引用になっている)

このセリフが、ニューダンガンロンパV3に内包されたメッセージを代弁してくれているように思えてならない。

 

ゲームは、プレイヤーを主人公と一体化させることで、物語を語る。

その際、プレイヤーはフィクションのなかで役割(ロール)を背負い、ゲームを進める。しかし、ゲーム内の出来事はすべてクリエイターによって作られたものであり、プレイヤーが自ら規定外の行動を起こすことはない。

 

しかし、フィクションだとしても、ゲームを通してプレイヤーが感じたことだけは現実(リアル)なのだ。

 

だから、メタルギアソリッド2は、ニューダンガンロンパV3は、フィクションを肯定する物語(フィクション)だ。

 

フィクションで世界は動かせる。

ドナルド・トランプの行うヘイトスピーチも、安倍総理の国会答弁も、時と場所に合わせて現実を再構成したフィクションだ。

 

自分の目で見て、耳で聞いただけでは、現実(リアル)にはならない。

現実は、メタルギアソリッド2の時代にはすでに(きっともっとはるか昔から)、フィクションに侵されていたのだ。

 

ニューダンガンロンパV3の時代は、SNSの普及で、さらにリアルとフィクションは曖昧になってきている。

 

「フィクションの力を侮ってはいけない。」

 

このことを、フィクションをつくる者たちは、誰よりも知っているのだろう。

 

ダンガンロンパは、希望を与えてくれるフィクションだ。

しかし、フィクションは容易に絶望にも染まることを、このゲームは教えてくれている。